東京山椒魚との出会い

上:背景 下:卵回収場所(コンクリート化工事の未工事端)

山椒魚との最初の出会いは二十数年前になる、当時私は何処に行くにも、たいていこざかなをすくう網と、ブクブクを荷物に忍ばせていた。 そして、川や沼、池に遭遇すると、そこのこざかなや小さな生き物を採取して来た。 そして庭に置いた3つ4つの水槽で飼育していた。 当時は仕事が忙しく数時間の睡眠で、更に週1、2度の徹夜で日曜は貯め寝に帰って来る様な生活、当然水槽の世話などするような暇は殆ど無かった。 が、気持の上では水槽内ビオトープをイメージして水草を豊富に植えて、エアーやフィルターを使わないでも水が奇麗に維持できる様に工夫していた。 したがって、採取して来たこざかなや生き物はかなり長生きしていた、時には自然繁殖が確認できるたこともあったので、手間を掛けられない状況に反しては、かなり安定した水槽飼育環境が実現出来ていたと思われる。 なんとなくではあるが、買って飼育するよりは、自然界から採取して来て、なるべくその生息環境に近い環境を工夫して飼育するのが好きだ。 とは言ってもペット屋で珍しい生き物を見掛けると、たまには衝動買いして飼育する事もある。 ある日、近くのペット屋(金魚屋)で東京山椒魚の幼生を売っているのを見掛けた、こんな希少動物まで売り物にして良いものか?とかなりの違和感を感じたが、再び立寄り、よく見ているとウーパールーパーの様な幼生の姿、動きに、しばし目を奪われ、気が付くと2匹購入していた。 家に帰り、一番小さい30センチの水槽に入れた。 その時は水が澄んでいる事は気にしたが、餌についてはあまり気にしなかったような気がする、それでも?、2回はイトミミズをあげたかも知れないが定かではない。

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コンクリート化工事された側溝

3、4週間すると、いつの間にか2匹とも居なくなっていた、山椒魚について少し調べたところ、水中に居るのは幼生のうちだけとあったので、水槽から出て行ったのだと理解した。 たった2匹なので成長して産卵に戻る可能性は無きに等しいが、有り得ない事では無いと思い、水槽を埋めて地面と面一にして山椒魚が水槽に戻り易い様に対処した。 勿論、産卵に戻って来る、なんて奇跡は起こらなかったが、2、3年後奇跡に近い出来事が起こった!。 なんと、1つの水槽を移動しようとどかしたところ、その水槽のしたに穴掘って、東京山椒魚の成体がひっそりと生きていたのである、感動の再会である、奇跡としか思えないが、間違いなく2匹の幼生のうちの一匹が成体となって成長し、生き続けていた。 これが、東京山椒魚との最初の出会いである。 二回目の出会いは、それから、4、5年後のこと、5月の連休に、家族で白骨温泉へバス旅行に行った時のことだった。 河童橋の少し下流で、川岸に素足で入って遊んでいたところ、子供が何か足に当たるよ!、と言った。 確かに、川岸と言っても、かなり流れは速いが、その流れに流されてか、泳いでか、結構頻繁に何かこざかなのようなものが、足に当たってくる。 その時は珍しく、魚採取用の網や入れ物は持ち合わせていなかった。 それでも素手ですくおうと、しばらく追いかけまわしていると、2,3匹すくう事が出来た。 よく見ると、それは3,4センチほどに成長した山椒魚だった、種類は解らなかったが、いま思えばハコネサンショウウオ、とかヒダサンショウウオかも知れない。

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回収した卵

しかし、あまりにも大きい川で流れも速いのと、足にコツコツと当たり、素手でも捕まえられることから、半端じゃなく、大量の山椒魚が泳いでいたことと思う、更に普通の山椒魚なら既に陸に上がっているのでは無いかと思われる大きさだった。 オオサンショウウオの卵は数珠状になっているらしい、イメージとしてはオオヒキガエルの卵みたいなのか、だとしたら普通の山椒魚より、一匹当たり大量の卵を産むのでは無いかと思うので、もしかしたらオオサンショウウオの幼生だったのかもしれない。 そして三回目の東京山椒魚との出会いは、四年前の3月初旬のこと、ある山に登る細い山道をほんの少し入った道の脇、沢からの水が流れて来るであろう筋の岩陰に、ゼリー状の半分ほど欠けた卵らしき物を見つけた。 水が無かったので、乾涸びる寸前だったのか?、ゼリー状の卵のうらしきものは異常に丈夫で、手でち切ることなど全く不可能な程固く丈夫なのが不思議に思ったが、中に黒い丸い粒が見えるので卵だと思われた。 そして、欠けてはいるが、何となく三日月らしき形から山椒魚の卵かも知れない、と思い、雨が降って少しでも岩陰に水たまりでも出来れば、助かるかも知れないと思ったが、救出して育てて、成体に成ったら戻しにくる事にした。 最初の出会いの時とは違って、水質、餌にはかなり気を使って、いろいろ考え、工夫して成体まで飼育した。 水は水槽内に土を入れて池風にして、エアレーションと、数日置きにパイウオーターを一部入替えして、水質の維持を図った。 餌は、一番安定供給が出来る物を考えて、イトミミズを与える事にした。 順調に9個の卵から全部幼生になり、幼生もイトミミズだけで順調に育った。

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幼生

そして、陸棲に備えて水槽内の8割がたを陸地にして、落ち葉を敷いて水槽内の環境を変えた。 餌もやはり安定供給を考えてミミズにした、シマミミズは購入可能だが、異常繁殖したり、土を腐らせたりして、ミミズらしからぬ悪さをするらしいので、もっぱら土手や山へ、フトミミズを撮りに行って与えた。 これは大変な作業となった、山椒魚の成長に合わせてイトミミズの兄貴分くらいの子ミミズから徐々に大きめのミミズを3,4日置きに採取しに行く、田舎にいたころはミミズなどいくらでもとれた様に記憶していたが、いざとなると、なかなかミミズの居る場所を見つけるのは難しかった。 必死になってミミズを1年近く与え続けたところ、東京山椒魚にしては大きいのではないかと思われるほど、大半が20センチ近くになった。 なぜかごくたまに、水槽内の落ち葉をのけて山椒魚を確認するも、ゆっくり観察することの、写真や動画などの記録を撮る事は無かった、餌を与える事で手一杯の心境だったと思う。 1年ほどして、十分に成長したので、そろそろ回収してきた山に戻しに行こうと思っていたが、なかなか出かける機会を作れずに、もたもたしているうちに7月になってしまった。 暑い日が続いたので、山椒魚にとって暑さは大敵!、と言う認識は強く抱いていたので、一刻も早く山に戻しに行こうと、水槽内の山椒魚を出そうとしたが、なんと一匹残らず水槽からフタを押し上げてか、全員脱出して、もぬけの空だった。 昨日確認した時は間違いなく、大きく成長した山椒魚9匹全てを見ているので、信じ難いが、結構重いアクリルのフタを体で押し上げて脱出したことに違いない。 大失敗である。

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幼生

ただ、死んだ訳では無いし、死骸も見当たらないので、逃走したと言う事で最悪の事態は回避されている、と思われた。 かと言って安全では無い、そのころ睡蓮を植えようとして作った庭の水たまりに、時々一匹の大きなおおひきがえるが水浴びに現れていた、更に明け方前ぐらいにタヌキもたまーに現れていた見たいだ、あと猫も庭を通り抜けるので、見つかれば食べられてしまう可能性があった。 一方、最初の出会いの山椒魚は、おおひきがえる、ウシガエル、へびなどが庭に出没、猫も、我が物顔に、2,3匹が庭を徘徊していたにも関わらず。 一匹の山椒魚が、3年近くも生存していた事を確認出来ていた経験から、 大きく成長した、山椒魚が庭の近辺で、生存し続ける可能性もある、と考えた。 そして、今度こそ、これらの山椒魚の何匹かが生き続けられれば、産卵に戻って来ると信じて、本気で山椒魚の産卵場所を想定した、ビオトープを作る事にした。 試行錯誤を繰り返し、最終的に落ち着いたのは、幾つもの試行錯誤の末にたどり着いた、最もシンプルな方式のものだ。 基本的には庭に湧き水の池があれば、ビオトープどころか本物の自然環境が出来上がる訳なので、ポタポタ。程度でも枯れる事なく、清水を供給出来る仕組みを考えた。 直径30センチ、 高さ60センチほどのゴミ入れに水槽用の浄化砂利や麦飯石、貝殻、木炭、落ち葉など水を奇麗にしそうな材料を何層かに敷き詰めた、手製のフィルターに、水道の蛇口の、閉め具合を調整して、水道水がポタポタと垂れ落ちる程度に、フィルター中央に立てた、直径3センチ程のパイプに垂れ落とす。 そのパイプに垂れ落ちた水は、フィルターの底部から何層ものフィルター材をしみ出て、浄化された水が最上部から溢れ出る。

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陸棲間もない山椒魚

この湧き水に見立てた水を水源としてビオトープを構成した。 ビオトープは、フィルターを溢れた一番新鮮な水は、戻って来た山椒魚の産卵池を想定した、小さな水槽に溜り、ここから溢れた水は芹と蓮の池に溜り、ここから溢れた水は次の睡蓮の池に溜り、ここを溢れた水は、ホースで導かれて、紫陽花を植えた地面に染み込んで終わる、と言う流れで構成した。 翌年、以前卵からかえって、巣だって行った、アカガエルと思われるカエルが早速産卵に来た、芹の池と睡蓮の池に4つ程卵隗が産み落された。 これでビオトープとしては、かなり自然に近い状態で実現されていることが確認出来たことになる。 が、この卵がみんなカエルに育ったらどう言う事になるか? またこのカエルと山椒魚が天敵関係にはならないが、共存出来るのだろうか? アマガエル程度の大きさなら心配ないが、アカガエルは少し大きい、カエルは動く物は本能的に食べようとする、アカガエルの口は、普通の大きさの東京山椒魚ならなんとか丸呑み出来るかも知れない程度の大きさが有るので不安だ。 その後、卵からオタマジャクシになり、水面がまっくろになるほどの数のオタマジャクシが泳いでいたが1、2週間すると急激に数が減り、そのまま減り続けた、そしてカエルになったのは多分20匹程度と思われた。 この程度なら最終的に生き残れるのは多くても数匹程度とおもわれる。 勿論、天敵のザリガニも、ドジョウもいないのに、何がオタマジャクシを食べたか判らないが、なんとか大量繁殖の不安は解消された。

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東京山椒魚の成体

これで、いつでも、逃走した東京山椒魚が、何匹か生き延びて、産卵に戻って来ても、なんとか産卵出来る環境が整ったのではないか、と思われるが、まだまだ、工夫、改善を重ねて、よりシンプルに、より自然に近い環境に近づけることは必要だと思った。

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